ジャージの二人/長嶋有

ジャージの二人 (集英社文庫)
なんだかんだ言ってこの作家さん、文庫の新刊出るたびに買っているな。人待ち中に立ち寄った書店で、平積みになってた。背表紙のあらすじを見たら「北軽井沢の山荘」なんてあったので、そのままレジへ。東京から高速のって、碓井軽井沢インターで降りて…祖母が建てた古い別荘と碁盤目状という別荘地の描写は、大学村(古い別荘地)の想定かな、などとなじみの場所の描写を楽しんでみた。そう、カマドウマはおそろしくたくさんいる。
会社を辞めて小説家を目指す「僕」は三度目の結婚をした父の1人避暑におともして山荘を訪ねる。東京の自宅での夫婦生活は破綻気味、という状況で。「僕」「父」「花ちゃん(父の三度目の結婚での娘)」「遠山さん(ご近所さん)」に対して、「妻」という呼称が、おかしくはないけれど、浮き上がって見えた。「妻は」「妻が」「妻を」。
このまえ長嶋有を読んだとき、そのあとに桐野夏生を読んでしまったら、人間の描き方にえらい差があって、長嶋有がそりゃもう軽ーく感じられてしまったのだけれど、これはこれで、正しいのだよな。解説の柴崎友香に同意。べつに小説を読んだからといって何かを学んだりしなきゃいけないこたあないのだ。全然。(…と書いていたら、以前映画が終わった瞬間から「わたしはこの映画から何を学んだか」について声高に議論を始めたOLさんがいたことを思い出した。珍しく映画館で見たその映画は「死ぬまでにしたい10のこと」でした)