なんで本を読むのかというハナシ
自分の中での初めての読書ブームは小学2年生だったはず。「若草物語」を読んで、本は面白い、と知った。小学校の図書室の本を借りられるのは確か3年生か4年生からだったので、それまでは図書室に行って読むのと、学級文庫というの、あとは親の本棚で。貸出可能になってからは、図書カードが裏表何枚も埋まるくらい、学年で一番になるくらい、貪り読み。「十五少年漂流記」「飛ぶ教室」「名探偵ベイジルシリーズ」からホームズもの、ルパンもの、さとうさとるの「コロボックルシリーズ」、星新一。印象に残っているタイトル。
学校の帰り道、友達と帰っているのに読みかけの本が面白くて、読みながら歩いて、友達を怒らせたこともあった。喘息持ちの鍵ッ子は、具合が悪かったりすると、誰もいない家に帰って、テレビをつけて、本ばかり読んでいたんだ。読書感想文で賞をもらったり。弊害があったとすると、「本で覚えた」語彙がとても多いので、たまにワタシは変な発音をする。活字でしか知らない言葉を、勝手な音で使って、親は標準語なのに、訛る娘。
量は減ったけれど、高校生くらいまではそういう、興味がある本を片っ端から読んで、耳年増に知識だけ増えて、しかし楽しい、というのに変わりはなかった気がする。本を読むことに変な気合いが入ったのは、浪人時代。意識して本をたくさん読もうとした。浪人の一年間、勉強もまあしたつもりだったけれど、年間100冊以上も本を読んでいたのだからどうか知らない。高校卒業〜浪人はじめのあたりで、自分という人間の薄っぺらさがすごくいやだったんだ。幾つかの友人関係の悩みだとか。どうしても、人として薄い、薄っぺらいんじゃないかワタシは、という恥じらいなのか思い込みなのかに捕らわれて。深い思索とか、出来ない、すぐ迎合する、流される。曲学阿世。嫌気がさした自分をどうにかするのに必死になって、そうしてせめて出来ることを、と本に救いを求めたような。
でも、そのまんま薄っぺらいワタシは、読んでる内に、そんなきっかけを忘れたのだろうな。こたえは本の中にはなかったことにちゃんと気づけていたのだろうか。大学に入ったら、またその熱は冷めていたと思う。
今、また10年振りくらいに、貪るような読書をしていて。ああ。またなのかもな、と。
ワタシはもうじき30歳で、そんな歳に相応の何かを身につけられている気が本当にしなくって。たまにものすごい自己嫌悪に陥る。でもすぐ忘れる。学んだことを証すには、成長で示すしかないと知っているのに、出来ていない。せめて。なんだろう。本を読むことで何が変わるというんだろう。むしろ現実逃避だよな。素直に、読書が楽しい、知らなかったことを知るのが楽しい、だけにしとけばいいんだよな。
最近の周りの友人知人たちの会話の端々に、「人として」すごく深みを感じて、ああ、それに引き換えワタシは、って。よくわからない、まどろっこしい落ち込み方をしている。脱したいと思う。